上杉家ゆかりお方々

武田信清

初名三郎、武田信玄の六男。

信玄はその臨終に際して、嗣子勝頼に対し、『・・・兵を構えて己が国を亡ぼすこと勿れ、我れの死後天下に頼るべき者は独り謙信あるばかり宜しく援を請い求め国をば彼に托せよ。』と残しました。

天正10年3月武田勝頼父子は天目山の戦に破れて自害、勝頼兄弟のうち、武田太郎義信(長男)、同次郎隆宝(二男)、仁科五郎信盛(四男)、暮山十郎言責(五男)も戦死あるいは自害します。これにより、 信清一人が残り武田の正流となりました。

甲州没国の節信清は、紀州高野山無量光院に隠まわれ、同年越後の景勝公に嫁いでいた姉菊姫を頼って来ました。

上杉氏では高家衆の筆頭として優遇(諸役御免)し、三千三百石を陽わります。

寛永19年3月21日、83才にて逝去しました。

法名 虎山玄龍居士

信清以来、子孫連綿として米沢に居住しました。

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