トップページ > 林泉寺について > 林泉寺の歴史

林泉寺の歴史

長尾家、上杉家の菩提寺

開創

明応5年(1496年)に越後国高田(今の新潟県上越市)の蜂ヶ峯の麓に一宇が建立されました。

● 開山

曹洞宗開祖道元禅師から下って11代にあたる勅特賜 宗猷大光禅師 曇英慧應大和尚(しゅうゆうたいこうぜんじ どんえいえのう)が、本師である一州正伊大和尚(いっしゅうしょうい)を勧請し、開山されました。

● 開基

越後守護代であった長尾能景公(上杉謙信の祖父)が、その父である重景公の勲業を子孫万歳の福基に残そうとの御志願から建立されました。

● 寺号

長尾重景公の法名「林泉寺殿實渓正眞大居士」から、寺号を『林泉寺』と定められました。

● 山号

長尾景虎公(のちの上杉謙信公)が上杉氏を相続された時に、上杉家の氏神である奈良の春日明神を勧請し、山号を『春日山』としました。

上杉謙信公と林泉寺

林泉寺は代々長尾家の菩提所であったことからその法縁により、長尾景虎公は天文7年(1538年)7才の折、林泉寺に入って当寺七世天室光育禅師に師事されました。

更に長じてからは八世の益翁宗謙禅師の会下に参禅し、粉骨砕身終に達磨不識の玄道(禅の奥儀)に悟入されました。
41才の時はじめて『不識庵謙信(ふしきあんけんしん)』と名乗られました。

毘沙門天

謙信公7才の折
初めて出会った毘沙門天

上杉家に伴い米沢へ

米沢移封

2代景勝公の折に上杉氏は、会津を経て米沢移封(慶長6年)となりました。その後、元和3年(1617年)萬安大悦大和尚の時米沢の現在地に移りました。
舞鶴城(米沢城)の南現在の地域を選んで、高田林泉寺の古規にならって堂塔伽藍を建立されました。

現在の伽藍は、享保17年9月(1732年)に火災に遇ったのちに建てられたものです。

上杉鷹山公と林泉寺

寺中の春日大明神は、上杉鷹山公(治憲)が御節倹の折、立志の誓詞を捧げられた由緒深いものです。また、当時寄進された雨乞の大般若経等は現存しています。

上杉家墓所

歴代藩公の尊崇が厚く、上杉家の墓所には、奥方・子女26基、支侯16基のお墓があります。

また、米沢城下町創設の恩人、直江山城守兼続の御廟所として、その霊牌を奉安しております。

上杉・長尾両家の霊牌堂

長尾・上杉両家の霊牌堂
上杉家の奥方など112基を安置している。