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■ トップページ > 林泉寺を訪れる > 直江兼続墓所・位牌
兼続は風采堂々、躯幹長大、弁舌爽やか、かつ博学多識で、殊に文を好んで詩歌をよく詠み、天文地理・軍学・経済学等、皆達しないものはなく、米沢における学問は兼続に発したといわれる程です。しかも、その居常は極めて筒親で、身を保つことも謹厳でした。 また、その才略は実に雄大で、米沢城市の建設、荒蕪地の開拓、さらには水利の疏通、産業の開発、学問の興隆等 まさに直江は米沢開拓の大恩人です。 法名 達三全智居士
越後与板の城主、直江大和守景綱の娘。 初め与兵衛信綱に嫁しましたが、信綱の逝去後、兼続に再嫁します。その人となりは、賢明にして胆力がありました。 63才の時、夫と死別し薙髪して貞心尼と号しました。 以後禄3千石を受け、寛永14年1月4日江戸鱗屋敷において81才にて逝去しました。 法名 宝林院殿月桂貞心大姉 |