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上杉家の方々

上杉家の奥方

仙洞院様

上杉謙信公の姉で、長尾政景に嫁して二代景勝(政景二男)を生みました。

慶長14年2月15日、米沢城二の丸において82才にて逝去しました。

越後、会津、米沢と激しい転封によって財政緊迫となっていましたが、米沢に林泉寺を建立することに尽力したことから、林泉寺中興開基と称しています。

法名 仙洞院殿知三道早首座

甲州夫人菊姫

武田信玄の四女で、天正6年二代上杉景勝公と縁組、非常な賢夫人でした。

慶長9年2月16日伏見邸において47才にて逝去しました。

始めは、京都妙心寺中亀仙庵に葬られ、後に林泉寺に改葬されました。

法名 大儀院殿梅岩周香大姉

菊姫

鍋島夫人市姫

徳川家康の養女(肥前佐賀35万石松平信濃守勝茂の長女)。

元和9年7月19日三代定勝公と縁組、寛永元年1月21日入輿しました。

寛永12年 6月3日42才の時江府にて逝去、同25日当寺に葬送しました。

法名 伝高院殿洞胤栄仙大姉

会津夫人媛姫(はるひめ)

会津若松城主、保科正之の娘。

承応3年四代綱勝公と縁組、4年目万治元年、19才にて逝去しました。

法名 清光院殿月汀正心大姉


それより6年後、寛文4年に藩主綱勝公が夭折されました。しかし、老中職であった保科正之(徳川秀忠の子)の力添えによって、半地15万石を領しお家存続となりました。

媛姫

鷹山公側室お豊の方

米沢藩中興の祖と仰がれる十代鷹山公の側室。

五代綱憲公の子勝延を父にし、寛保元年1月17日米沢に生れました。
初め久能、琴、厚、琴。

明和7年6月14日、治憲公の側室となりました。

御正室幸姫(九代重定公の娘)は天明2年3月9日、32才で逝去。その後は正室に代る賢夫人として有名です。

また、麗之(れいし)と号し文学詩歌等にも秀で、恭順貞淑にして琴瑟相和して藩政改革に内助の功実に偉大でした。

文政4年12月17日米沢において逝去しました。

法名 浄鏡院殿真影不空大姉

お豊の方

支侯家

上杉駿河守勝周 (1696〜1747)

元禄9年9月10日生、童名は千之助。

五代綱憲公の子(四男)で支侯(しこう=分家)の先祖です。麻布様と称しています。

延享4年7月2日52才にて逝去しました。

法名 瑞光院殿天容祥雲大居士

上杉式部勝延(1698〜1772)

元禄11年2月24日米沢城で生れました。童名は源之助。

五代綱憲公の子(五男、勝周の弟)で、九代重定公の叔父にあたり、十代鷹山公の側室お豊の方の実父です。

安永元年6月1日75才にて逝去しました。

法名 法性院殿海岸恵月大居士