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■ トップページ > 林泉寺を訪れる > 上杉家の方々
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武田信玄の四女で、天正6年二代上杉景勝公と縁組、非常な賢夫人でした。 慶長9年2月16日伏見邸において47才にて逝去しました。 始めは、京都妙心寺中亀仙庵に葬られ、後に林泉寺に改葬されました。 法名 大儀院殿梅岩周香大姉 |
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鍋島夫人市姫
徳川家康の養女(肥前佐賀35万石松平信濃守勝茂の長女)。
元和9年7月19日三代定勝公と縁組、寛永元年1月21日入輿しました。
寛永12年 6月3日42才の時江府にて逝去、同25日当寺に葬送しました。
法名 伝高院殿洞胤栄仙大姉
会津夫人媛姫(はるひめ)
会津若松城主、保科正之の娘。 承応3年四代綱勝公と縁組、4年目万治元年、19才にて逝去しました。 法名 清光院殿月汀正心大姉
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鷹山公側室お豊の方
米沢藩中興の祖と仰がれる十代鷹山公の側室。 五代綱憲公の子勝延を父にし、寛保元年1月17日米沢に生れました。 御正室幸姫(九代重定公の娘)は天明2年3月9日、32才で逝去。その後は正室に代る賢夫人として有名です。 また、麗之(れいし)と号し文学詩歌等にも秀で、恭順貞淑にして琴瑟相和して藩政改革に内助の功実に偉大でした。 文政4年12月17日米沢において逝去しました。 法名 浄鏡院殿真影不空大姉 |
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上杉駿河守勝周 (1696〜1747)
元禄9年9月10日生、童名は千之助。
五代綱憲公の子(四男)で支侯(しこう=分家)の先祖です。麻布様と称しています。
延享4年7月2日52才にて逝去しました。
法名 瑞光院殿天容祥雲大居士
上杉式部勝延(1698〜1772)
元禄11年2月24日米沢城で生れました。童名は源之助。
五代綱憲公の子(五男、勝周の弟)で、九代重定公の叔父にあたり、十代鷹山公の側室お豊の方の実父です。
安永元年6月1日75才にて逝去しました。
法名 法性院殿海岸恵月大居士

